近寄りたい建築

2018.3.5 / blog

市内にあるお気に入りの山のお寺、智満寺。
行くと毎回WELCOME感を感じる。
来るもの拒まず的な雰囲気というか、スピリチャル的な
感じだと「待ってくれている」「よく来たな」と言われてる感じである。

 

それは山にあって結構な階段を上った先にあるからだけか?
とも思ったが、やはり本堂の佇まいや配置、周囲の木々の圧倒的なスケール感や山頂にかけて
点在する千年杉の森全体からも感じる。
(千年杉の森は異次元です、恐竜が出てきそうです)

 

それは単に親しみやすいとかユニバーサルデザインとはまったく異なる
孤高の先にあるものなのかなとも思った。

 

そしていつも特にお願いごとはないのでお賽銭を入れて日々の感謝と「こんにちは」だけ言って帰る。

 

どうしたら新しくつくる建築にもこの様な空気感を持たせることができるのか
考えなくてはならないと思った。
少しニュアンスは違うかもしれないけど
コレは最近考えている近寄りたい建築と近寄りがたい建築の違いにも通じるかもしれない。。

 

近所を散策すると
新しい住宅達がものすごいスピードで続々と建ちはじめている。
歩きながら分譲地に新しく建った住宅を道路から見ると
何か近寄りがたい建築だなぁと思うことが多い、
建物は新しいんだけど少し寂しいかんじがする、ポツンと置いてかれたような
土地に定着していない感じだ。
そして外部環境(自分の領域以外のコントロールできないもの)に対して
あまり期待していないかのようにも見える。

 

それは色々な要素があるかと思うが
すぐ思いつくことは
郊外で割と敷地が広く、外構が砂利だけでフェンスに囲まれているからか
リビングの掃き出しのアルミサッシがペッと付けた感じになってるからか
素材の問題、プロポーションの問題なのか、などなど

 

逆に庭が立派で単に開放的で大きな開口があり縁側とかがあれば近寄りたい建築になる
かといえば勿論それだけではなさそうだ。

 

どうしたら近寄りたい雰囲気がでるのか
そんなことからも建築がどういう佇まいであるかを考える必要がある。

 

外観から建築を考えないようにはするけど
魅力ある建築は自然と外観にも滲み出てくると思う。
内部空間の豊かさがそのまま外に溢れ出たような感じになれば良い。

 

外観だけをキレイに整えただけの建築はやはりバレてしまう
常識にとらわれずに挑戦し
自分の感覚に素直に従い最終のカタチとしての建築まで落とし込む、そんな地味で時に苦しくもある
終わりなき探求の繰り返しの先にあるものだろうか。
そうしてできた建築に「近寄りたい建築」となる可能性がある。

 

かっこつけた感じで言ってみたが
とにかく、なんと生産性の低いことだろう
でもそこは向かっていかなくてはならない。

 

いや、住宅だからこそそんなことも考える必要があると思う。